今夜は二ヶ所でレコーディング
ひとつはランプアイ
ひとつはマイクロホンペイジャー
二つとも雷を含めて俺にとって重要なグループだ
..ってかきってもきってもきりはなせないものなんだ
いまや心と体の一部分を担っているといっても過言ではないだろう
前に俺のブログのマイクロホンペイジャーでもふれたとおり出逢わなければ今の俺はいなかった
たまにふと振り返るとあの頃の事が鮮明に浮かぶ
そのたびに俺はつくづくラッキーだったなって思う
生意気にも16才から六本木の芋洗い坂にあったクラブ「ドゥルーピードロワーズ」にガマとほぼ毎日通いつめてた俺はある日DJヤスを知りそこからクラッシュポッセを知りペイジャーに出逢った
その衝撃はぱじゃなかった銀河系の外までブッ飛ばされたもん
本当に夢中になったよ469時中ずっとペイジャーのラップ口ずさんだ
移動中の車で誰のパートを歌うかで仲間同士喧嘩になるぐらいは茶飯事
なんかスゲーってその無限の可能性にしびれたよ
日本語ラップっていうジャンルをまだ誰も知らなかったあの頃の俺にとってそれは青春のど真ん中にいつもあった
いつかゼッテーくるってなんの根拠もなくそう考えてた
でもそれはあくまでも俺はリスナーとしての観点からだった
まさか自分がマイク持つとは思ってもみなかった
もんな
20才になった頃俺は初めて見よう見真似でリリックを書いてDJヤスにキックしたんだ
今考えると借り物の言葉だらけで繕った物凄く恥ずかしいリリックだったと思う
けれどもDJヤスは「おっいいじゃん!このあと俺のクラブプレイ中に早速やってみよう」って言ってくれた
かくして俺の初ステージは木曜日の人もまばらなドゥルーピードロワーズでひっそり行われた
どうだったかって?
反応は0
多分日本語でラップしてる事に誰もきずかなかったと思う
まあよく言えばそれまで踊ってたお客さんがそのまま踊りつづけてたから聞き苦しくはなかったのかな?
そしてそれから事あるたびにDJヤスのプレイ中に二、三バースキックすることになってったんだ
さらにガマと俺に専属でDJが付くまでDJヤスがやってくれるって事になった
それがランプアイになっていった
初めてヤス君にキックしてから二週間もたたないうちにムロくんとツイギーにもキックする機会が訪れた
恥ずかしい半分と所構わずぶちかましたい気持ち半分で俺は一杯一杯だった
まったく無茶苦茶な事をよくやったなって思う
でもそこでも二人は俺に「いいね!後でライブの途中で呼ぶから噛ましなよ」って言ってくれた
それから俺はペイジャーのライブの途中で呼ばれてはキックするようになった
そしてある日スタジオで「七転八倒」のイントロをキックした東京近郊から日本中に俺の声が届くようになった
そのひとつひとつの経験が俺の骨となり肉になっている
恥ずかしい話あの時の恩を俺はまだ返せてない
今回のレコーディングで少しでも返せたらいいな
最後にこの場を借りてあの当時スキルもなく若さと確信のない自信にだけ満ち溢れていた俺にチャンスをくれたみんなに感謝!
そしてライムで騒ぐ日本語ラップ栄光あれ
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