年末から喉が少しイガイガしてたんだけど昨日の盃でフリースタイルし過ぎたのと酒焼けで喉がガラガラだよ
しんのすけ美味しいワインご馳走さま
さあついに正月SP最終回いってみようか
常夏の国からシンゴ2とリビングレジェンズの待つ冬のサンフランシスコへ
当たり前だけど全く空の色が違った
ビーサンからスニーカーに
そしてアロハシャツからランプアイの下克上のジャケで着てた青色のノースフェイスのナイロンパーカーにニット帽
更にフードをかぶって完全にヒップホップモード
俺はイェイエリアのシンゴの下宿先に転がりこんだ
まずウケタのは俺と入れ違いで日本に帰ってたはずの三木道三が交通事故でまだサンフランシスコにいたことだ
何処だったか飯食ってる時に奴がひたすらギャグ連発してたんだけどホントつまんなくてシーンとしてる時に
鼻を垂らしながら「俺のギャグは鼻垂れた時に放たれた」は大爆笑だったな
シンゴは「ホントくだらない」って小刻みに震えてたし俺なんか口の中のもん全部出しちゃったもん
そうそう何人かでサンフランシスコからLAに車でズールーネーションのアニバーサリーパーティーに行ったな
その時DJユタカくんが司会やってたの覚えてる
ロングビーチだったと思うけどDJジョージの家でシンゴ2と三木道三と俺で一曲録ったんだよね
たしか俺のバースの頭は「韻と音の道、僕の細道・・」だったような..
前後するけどヨセミテの大自然はヤバかった
サンフランシスコでは今はなき「ゼブラレコード」にも行ったな
レッドマンの3rdアルバムが出たばっかで雨の日にバークレーでカセット買ったのも覚えてるよ
ハワイでも古テープ屋で色んなアルバムゲットしたし時代だよね
カセットがかっこよかった
あと何日かリビングレジェンズのアジトにも泊ったな
上手く説明出来ないんだけど当時の奴等は日本で言えば大きな工場の中の一工場に住んでたんだ
軽く50畳以上あるその部屋は天井も凄く高かった
一番飛ばされたのはその中で奴等はまるで三匹の子豚みたいにそれぞれ思い思いの部屋を作ってたとこだね
ただ四隅を大きな布で覆ってるだけの奴
ログハウスを建てる奴
圧巻だったのは二階建てのログハウスを組み立て上下で住んでる奴などなど
更にどの部屋でも録音が出来たし簡単なミックスやマスタリングする為の部屋もあった
長身のグラウチなんて超天井の低いログハウスに住んでたそこでも録音した
夢の城を見たよ
俺は窓際のTVに対して大きなソファーが3つあったんだけどそこで毛布を掛けて寝た
フリースタイルフェローシップのライブみんなで見に行ったのも記憶に懐かしいな
マース、イーライにエイソップなんかとライブも2回やった
滞在中に日本で俺も参加し録音したリビングレジェンズのシングルが出てたからその曲をキックした時超盛り上がった
数年後エイジアンプラネットが横浜でライブした時ツイギーとフロントアクトしたんだけど
奴等サンホセのライブの時一番前にいたって言ってた
あの旅でそれまで東海岸しか興味がなかった俺の価値観がガラッと変わった
よりオジナルを求めるようになったと思う
そして一瞬しか見てないんだけど伝説のMCサフィアのカリスマ性と存在感が俺の生き方を決定づけたんだ
たしかライブが終わってクラブの外でみんなでワイワイやってた時にサフィアがたまたまそこを彼女と通りがかったんだけど
それまで脚光を浴びてキャーキャー言われてたみんなが子供のように目をキラキラさせて話してたのにまず飛ばされた
名前ど忘れしちゃったけど当時売れっ子だった「ソウルズオブミスチーフをラジオショーでボコボコにへこましたぜ」っ言ってたイケイケのフリースタイラーも背筋をピンと伸ばしてた
そんなサフィアは理由があってアルバムが出てないとかなんとか言ってたな
それでもみんなから尊敬の眼差しを受けてた
その堂々とした立ち振舞いはライムを聞かなくても深いなって感じたよその後彼がどうなったかは知らないけど
俺は多分その時に決心したと思うんだ
セールスや時代に左右されない太い存在感のあるMCになりたいって
移り変わりの激しい時代に呑み込まれない為にも絶対にそれが必要だと
そして急ぐために遠回りしようって
あの旅から13年
正直何度も挫折しかけたけどひたすら現場至上主義を貫いた
途中目まぐるしく環境が変わった時もあった
それでも一歩一歩しっかり牛歩で歩き続けて来た気がする
今振り返ってみてあの時胸に誓った事がドコまで出来てるか解らないけど
それでも俺のマニアックなスタンスを支持してくれる日本中の熱い仲間たちの為にも今年は重い腰を上げて突っ走るつもりだ
以上、長くなったけどこれで2009年正月SP96年サンピン後の心の旅を振り返るを終わりにしたい
千栄
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