日比谷野音のサンピンキャンプの後
サンピンキャンプは規模を少し小さくして名古屋、大阪でも開催された
最終場所だった大阪公演が終わった後
ちょうど京都で祇園祭がやってるのを知った俺とトミーEは帰京せず寄り道する事にした
ビール片手にブラブラしてたらB-BOYが話しかけてきた
それが当時マグマのりゅうぞうだった
あの人混みの中で出会う確率は..
天文学的な確率だよね凄いよ
後に物本からアルバムをだした彼等とはそれ以来の付き合いなんだ
そしてその年の秋
初めてレコーディングした時から貯金したギャラを全て使って
俺は旅に出た
まず最初に向かったのは妹が留学してたホノルル
最初の2、3日はひたすらワイキキ周辺をブラブラしてるだけだったからすぐにあきた
そこで妹の通っている大学の日本人だけで作ったサッカーチームを紹介してもらい参加する事に
そのチームは草サッカーリーグに所属してて毎週日曜日に試合をしてた
さらにチームメイトは誰一人日本のヒップホップに興味がなかったんだけど俺にとってはそれが逆に良かった
リーグ戦に参加してた他のチームはネイビーにフットロッカーズの店員で編成されたチームやハワイ在中のメキシコ人、ポルトガル人などなど国際色にとんでいた
テクニックよりはパワー重視なリーグだったな
練習はいつもアラモアナパークで水曜日と土曜日にあって終わったらそのまま海に飛び込むのが日課だった
俺はそれまでセンターフォワードかトップ下しか経験した事がなかったんだけどそのチームは前線にいい選手が揃ってたから
サイドバックで最初の週から試合に出た
後ろから試合を見守りつつチャンスには駆けあがるっていうサッカーは初体験だったけどそのおかげでまた違うサッカーの楽しさを知った
リーグ戦でも12チーム中3位、4位ぐらいにつけていたそのチームで4回試合に出た
一位のチームに負けたけどたしか成績は1勝1敗2分だったな
チームメイトがサンフランシスコに旅立つ前にお別れ会をしてくれたけど嬉しかったな最後みんなで洋服着たままプールに飛び込んだのは忘れられないよ
2週目からは火曜日と木曜日にアラモアナからバスに乗ってカネオヘまでウクレレを習いに行った
ハワイに行く前からやりたいことの一つだったんだ
妹がハワイアンのクラスを専攻してたからその先生にワイキキ市内のスクールを紹介して貰ったんだけどどこも高いウクレレを買えと言ってくるから嫌気がさしてたんだけど
ワイキキからバスで3、40分かけた場所にいいトコを見つけて通うことに
日系二世の先生はトレイシー寺田といって知る人ぞ知る人だった
全く日本語を話さない先生と片言しか英語を話せない俺は音色で会話した
ある時なんか自分の演奏に陶酔しだした先生が1時間半弾きっぱなしで授業が終わったこともある
ちなみに妹のハワイアンの課外授業に何回か参加してある日オホンヌ「深い」ていうハワイアンネームを貰ったな
それ以来ウクレレはおじいちゃんになったら先生になれるように気長に趣味で続けている
今年はライブでもチャレンジしようと思ってるんだ
何もない日は小型のバイクで今みたいに神経質じゃないハナウマに泳ぎに行ったりチョロチョロしてたな
本当にあの1ヶ月は少しずつ日本が狭くなりだした俺にとっていい息抜きだった
そうそうたしかタイソン×ホリフィールド戦もあったな
目をつぶればいつでもあの太陽と風を感じることができるんだ
思い出しながら更新してたらもう盃に行く時間になったからこの先はまた明日にしたい
今夜初のウクレレでラップやってみようかな
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